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今治タオルにみる佐藤可士和氏のブランディング戦略 [マーケティング]

今治市のタオルは1991年をピーク(約5万トン)に、2009年には最盛期の5分の1(約1万トン)まで生産額はおちこんでいました。2006年に四国タオル工業組合(現今治タオル工業組合)の「今治タオルプロジェクト」が「JAPANブランド育成事業」に採択されたことをきっかけに、ブランディングを成功させるプロフェッショナルの存在が不可欠という判断から、佐藤可士和氏に協力を要請。佐藤氏によるブランディングがスタートしました。

①佐藤可士和氏が考えるブランディング
ブランディングとは、クライアントの思いを具現化し、世の中にきちんと伝え、社会の中でより良いポジションを獲得するための方法を考え、実践していくこと。
「本質的価値」×「戦略的イメージコントロール」=「ブランディング」
「いいモノをつくっているだけでは売れない」という現状は、本質をつかみ、ていねいに正しく伝えていくことで「いいモノをつくっているからこそ売れる」という未来に変えることができる。

今治タオルの場合、「本質的価値」のキーファクターは「安心・安全・高品質」。この仮説を確かめるために現地へ行き、タオルメーカー各社の工場を視察したり、製品を見せてもらったり、ものづくりへのこだわりを聞いたり、今治のタオル産業の沿革、これまでの組合の取り組み、今治の土地の風土や歴史など膨大なヒアリングを重ねた。

「なぜ安心なのか」「何が安全なのか」「どこが高品質なのか」明確な根拠が聞き出せれば、仮説は確信に変わっていく。

問題はそこから先。「本質的価値」をどうやって伝えるか。それが「戦略的イメージコントロール」という作業。そのために佐藤氏がタオルメーカの人にした質問が「一番いいタオルはどれですか?」という問い。伝える初期段階ではもっと「わかりやすさ」を優先させるべき。本質的価値をわかりやくす伝えることがディレクションの核心になっている。言いたいことが山ほどある中で、何がその企業や商品にとって本質的価値なのかということを徹底的に検証し、つかみとる。つかんだ本質を研ぎ澄まし、シンプルで明快なコンセプトとしてまとめる。そして、それをもっとも世の中にわかりやすいかたちでプレゼンテーションしていくというのが、ブランド戦略の基本的な流れ。

②今治タオルのロゴマーク誕生の背景
ブランディングの仕事で佐藤氏が最初につくったのは、シンボルとなるロゴマーク。今治タオルというコンテンツを世の中に向けて伝えようとするときに、パッと思い浮かぶビジュアルが何もなかった。コミュニケーションに必要な「アイコン」として、ロゴマークは不可欠だった。

ロゴマークは長く使い続けることを前提に考案しなければならない。強いインパクトだけでなく、「デザインの耐久性」も同時に求められる。そこを満たすためにあらゆる場面を想定したシュミレーションをする。タオルの織りネームになったとき、店舗の看板になったとき、紙に印刷したとき、写真で撮ったとき、モニターやスマートフォンで見たときなど、どんな使われ方をした時でもイメージが変わらないデザインをつくる。また、ロゴマークを作るときには「50年後に見てもおかしくないか?」という事を必ず考える。このロゴマークに行き着くまでにおよそ3ヶ月、300以上の案を考えている。
今治タオルロゴ.png
1.今治タオルを最初から世界に打ち出していく事を念頭に「Imabari towel」と表記
2.モチーフになっているのは今治の美しい自然
白は「空に浮かぶ雲」と「タオルのやさしさ・清潔感」
青は「波光煌く海」と「豊かな水」
赤は「昇りゆく太陽」と「山地の活力」を表している

③わかりやすく伝えるための「白いタオル」戦略
本質的価値である「安心・安全・高品質」を際立たせるために「白いタオル」をキープロダクトに設定。複雑で繊細な柄を表現できる技術が今治タオルの特徴であり、そこを全面的に打ち出したいという意見が現地でのヒアリングではたくさん聞かれたが、ブランディングプロジェクトで伝えようとしているのは「安心・安全・高品質」な「使い心地」。佐藤氏は柄を織る技術にこだわらなくても、今治タオルは勝負できると確信していた。

④佐藤氏の「伝えるため」の準備
今治タオルが全国規模で反響を呼んだのは、2008年8月23日にNHKの「クローズアップ現代」で紹介されたこと。タイトルは「地域再生のヒントを探せ~地場産業復活の条件~」。この番組ではNHK取材班が撮影したものではない映像も使われている。佐藤氏は、プロジェクト当初から、主な動向はできるだけ資料映像として残しておこうと提案。視察や会議、展示会の様子など、もらざすに記録しておいた写真や映像は、NHKに限らずさまざまなメディア取材で多々活用されることになった。「伝えるため」の準備は、後手に回ってしまっては間に合わない。メディアの取材に対して先手を打つことは、たとえ予算が少なくても十分対応できる。

⑤プロジェクトの推進力を生み出すインターナル・マーケティング
佐藤可士和氏のインターナル・マーケティング(組織内部統合・熱醸成)のための取り組みや意識していることは「説得」ではなく、いかにプロジェクトに「共感」してもらえるか。

納得してもらい、自らの意志で動いてもらうためには、ことらの考え方に相手がどれだけ共感できるかが重要になる。これは、佐藤氏がプレゼンテーションする時の原則。テクニックではなく、誠実に向き合って率直に話すこと。佐藤氏が今治のインターナル・マーケティングでもっとも心がけたのは、小手先の応急処置で出血を止めるのではなく、「本質的価値」の力で瀕死の状態から脱却し、産地が一体となって生き残る道を切り拓く意義を伝える事だった。

今日の学び
佐藤氏は、2014年1月に内閣府に設置された「選択する未来」委員会のワーキンググループのメンバーになっているそうです。日本の本質的価値をわかりやすく伝えるためのマスターブランドを国をあげて構築していく必要があるという提言をしているそうです。
(例)
・アメリカ「開拓者精神」「自由」「夢」
・フランス「文化」
・北欧「デザイン」「ヒューマン」
学習塾においても、「いい授業」をしているだけでは、生徒数にはつながりません。「本質的価値」の抽出と「わかりやすく伝播させていく」施策を検討していきます。

参考

今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略

今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略

  • 作者: 佐藤可士和
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本



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今治のタオルが有名なのはなんで? [探究心の喚起]

しまなみ海道で有名な愛媛県今治市。今治のタオルは鯖江のメガネフレーム同様、地場産業衰退の危機と戦っています。なぜ今治ではタオルが地場産業として盛んになったのか。また、なぜ生産量が減少し、どのようにこの危機を乗り越えようとしてきたのかを整理します。

①今治でタオルつくりが盛んになったのはなんで?
中国四国地方は、中国山地の北側の山陰。瀬戸内海に面した瀬戸内。四国山地の南側の南四国の三つの地域に分けることができます。今治市が位置しているのは瀬戸内。中国山地と四国山地に挟まれた瀬戸内は夏と冬の季節風が山地に遮られるため、晴天の日が多く、日本の中でも降水量が少ないのが特徴です。この気候に適してたのが綿花の栽培で、江戸時代から綿花の栽培が始まっていた。江戸時代後期には今治藩が伊予木綿(白木綿)を全国に出荷していた。
今治.png

しかし明治以降、大阪や兵庫などで安くて質のいい木綿製品が作られるようになり、今治の繊維産業は衰退。

1886年(明治19年)、今治の繊維産業復活の戦略として矢野七三郎が和歌山で作られていた綿ネル(毛織物に似せた綿織物)に独自の改良を加えて、より丈夫で暖かい「伊予綿ネル」を完成させる。

1894年(明治27年)、阿部平助が4台の織り機を導入してタオル作りを開始。

1910年(明治43年)、麓常三郎(ふもとつねさぶろう)が二挺式(にちょうしき)バッタンと呼ばれる織り機を考案し、同時に2列のタオル生地を織る技術の登場で生産性が格段に向上。

1918年(大正7年)、中村忠左衛門が「織る→晒す→染める」の順番を「晒す→染める→織る」の順の製法に改めた。先に水に晒すことで、やわらかい風合いのタオルに仕上げる事ができる。これは、石鎚山(いしづちさん)に連なる四国山地の山々から、豊富で良質な軟水の伏流水がある事で実現している。
※伏流水
河川敷や山麓(山地と平地との境界部)の下層にある砂礫層を流れている極めて浅い地下水。

その後、1929年(昭和4年)の世界恐慌で繊維業界は大打撃を受け、第二次世界大戦の今治空襲でタオル工場の88%が焼失した。それでも、今治タオルは消滅することなく、1960年(昭和35年)に生産額日本1になった。

②今治タオルの生産額が低下しているのはなんで?
1980年代後半から、安価な外国製品に押され、1991年をピーク(約5万トン)に、2009年には最盛期の5分の1(約1万トン)まで生産額はおちこんでいる。

③今治タオル復興にむけた動き
2001年、安価な外国製品による生産額低下に対する危機感から、経済産業省に対しタオル製品に対する繊維セーフガード発動を要請。しかし、許可が降りないまま2004年調査打ち切り。
※セーフガード
セーフガードとは、特定品目の貨物の輸入の急増が、国内産業に重大な損害を与えていることが認められ、かつ、国民経済上緊急の必要性が認められる場合に、損害を回避するための関税の賦課(ふか)又は輸入数量制限を行うもの。

2003年、今治市の補助金2億円を投じて、今治タオル工業組合が銀座に今治タオル専門店をオープン。しかし、補助金の終了と共に3年で閉店。

2006年、中小企業省が手がける「JAPANブランド育成支援事業」に採択され、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏にブランディングを依頼。今治タオルブランドのロゴマークを制定し、一定の基準を満たしたものにロゴの使用を認めた。ロゴマークは「安心・安全・高品質」の保証になるという位置付け。吸水性を保証するためにタオル片を浮かべて5秒以内に沈むかテストする「5秒ルール」などの試験項目がある。

今治タオルロゴ.png

2007年、百貨店やショップなど、小売業の営業や広報担当者をタオルアドバイザーとして育成する目的として、「タオルソムリエ制度」を実施。

2007年、東京伊勢丹新宿店で今治タオル常設販売

2008年1月23日、「クローズアップ現代(NHK)~地域再生のヒントを探せ~地場産業復活の条件」の放映

2008年10月、第一回タオルマイスター叙任式。タオルマイスターは「知識・経験に裏打ちされた最高の技術と技能を身につけ、若手のみならず、中級・上級者の範となるべきもので、地域社会に貢献する人格も備えた者」と定義され、第1回では名匠4名を選出。

2009年9月、フィンランドヘルシンキで開催された見本市「ハビターレ09」に出展

2010年、生産量がプラスに(前年比0.2%)

2010年、組合員が今治タオルブランドを理解するよりどころとして「今治タオルブランドマニュアル」が取りまとめられる。

2012年、今治タオル南青山店オープン

2017年4月、今治タオル本店をリニューアル。今治タオルLABを新設。

佐藤可士和氏中心とした「本質的価値」×「戦略的イメージコントロール」によるブランディングが成功し、「今治タオルを聞いたことがある・聞いたことはあるような気がする」という認知度調査では、2004年の36.6%、2008年の50.2%、2012年の71.0%と上昇が見られている。しかし、今治タオルの生産量は、2010年以降7年間生産量を伸ばしていたものの、2017年に1万1468トンで前年比4.7%減と落ち込んだ。組合員数や従業員数は年々減少しており、適正な生産量を探っているという見方もあるが、今後の新たな展開や動向に注目していきたい。

参考

今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略

今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略

  • 作者: 佐藤可士和
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本


・タオルデータ(平成29年統計表)
・「今治タオル」人気が直面する11年目の試練(東洋経済ONLINE)
・衰退一途の今治タオルが息を吹き返した“大事件” (ITmediaビジネス)
・今治市タオルの歴史(TEXPORT今治)
・「今治タオル」復活の立役者が東京進出で目指す「第2フェーズ」 藤高(dmenuニュース)

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